「遠くに行けるようにはなったけど」

「まだ沈むなーー!」高校時代からの友人・マミが叫びながら車を走らせていた。地元の北海道に帰省してひとしきり遊んだ後、海でも見に行くかとマミの車に乗っていたその時、窓の外に真っ赤な夕暮れの大きな太陽が現れた。日没まであと数分。マミは何にも邪魔されずに夕陽を眺められる場所を目指し爆走していた。結局日没に間に合わず、太陽が沈んだ跡を見つめるだけになってしまったけれど、高校時代を久しぶりに思い出した。そんなに遠くにも行けなかったけれど、身近なところで新しい何かを探していた、あの頃を。



「ピース」

新宿のカフェの喫煙席で煙草を吸っていた時のこと、隣の席のおじいさんに「ちょっと」と話しかけられた。煙が行ってしまっていたか?と身構えるわたしに、おじいさんは「うちの父親がピース吸っててねえ、その匂い懐かしいねえ」と目を細める。少しの世間話をして、おじいさんは帰っていった。新宿という誰もが他人のような街で、父親の面影を見つけたおじいさんと一瞬出逢い、また他人として別れていく。



「帰り道」

父が営む喫茶店でお酒を飲んだ帰り道。家までの数分間。父は自転車でわたしは徒歩。「先に帰っていいよ」と言うわたしに「わかった」と父は言い、スイスイと自転車を漕いでいった。曲がり角を曲がると、父が自転車を止めて待っていた。わたしが追いつくとまたスイスイ進み、少し先でまた止まって待っている。「お母さんとよくやってたんだ、これ」と父は嬉しそうに笑い、わたしはなんだか恥ずかしくて「若いので走ります!」と父の自転車の隣を走った。



「スーパースター」

わたしは寝つきが悪い。目を瞑ると、いろんな不安や心配事に頭を支配されて余計に眠く無くなってしまうタイプだ。
ひとつだけ有効な方法がある「自分が大谷翔平だったら」という妄想を始める。そうしたらいつの間にか眠っている。始まりはいつも、オフシーズンの寝起きからなのだが、豪邸にて起きて、朝ごはんを食べて、ジムに車で行くところくらいでいつの間にか眠っているのだ。もはや大谷翔平でなくても良い妄想だ。



井樫彩|脚本・監督

1996年生まれ、北海道出身。卒業制作『溶ける』で第70回カンヌ国際映画祭正式出品。初長編作『真っ赤な星』で劇場デビュー。その他の作品に『21世紀の女の子』『NO CALL NO LIFE』、ドラマ『復讐の未亡人』など。広告、MVなど媒体問わずに精力的に活動。
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