「戻ってきた靴下さん。」
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靴下が片方だけ旅にでてしまう現象は何歳になっても止まらない。学生の頃は、しまった左右の長さが微妙に違う!なんてこともあったなあ。
今日もほらまた、お気に入りの靴下に限ってなくなる。大体は洗濯機の中や脱衣所のすみっこから、数日中に救出されるんだけど・・・たまに、いつになっても出てこない靴下さんもいる。鳥が持ってったのかなと諦めていたら、引っ越しのタイミングでベッドと壁の隙間から発見!歓喜の再会を果たした。2つ揃ってはじめて1つになるっていう、靴下とかお箸はとても不思議で可愛い存在だなと思う。
あ、靴下の隣で何か光っているぞ・・・なくしたと思っていたアクセサリーも一緒に出てきたなんてこともあった。ここで二人、どんな話をしていたんでしょうね。
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「ラトビアの靴下と手袋」
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数年前の初夏、ラトビアを旅したとき、年に一度だけ開催されるという森の民芸市を訪れた。刺繍の施された服や、木彫りの食器、スパイス、様々な民族衣装を着た人々がお手製のものを売っている。
一際私の目を引いたのが、ずらりと並ぶ手編みの手袋や靴下だった。民族の紋章になっているもの、色合い、編み方・・・一つとして同じものはない。どれもこれも可愛くて、そしてそれを売るおばあさんたちが素敵すぎて、私は山のように買ってきてしまった。
氷点下30度を超え太陽が殆ど出ない真冬の間に、おばあさんたちは家でせっせと手袋を編んでいるそうだ。東京から来たと伝えると「東京の冬ならシングルのこの手袋で十分ね」とおばあさんは笑った。ダブルになった、最強に温かい手袋や靴下もあったのだった。
私は冬が苦手だったけれど、この靴下や手袋が履けると思うと待ち遠しくなった。手作りでも工場で作られたものでも、携わった人の愛情を感じながら日々を過ごしたいなと思う。
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「長靴と麦わら帽子」
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この頃、実家の愛媛と東京の二拠点を行き来しながら生活している。
実家は農家で、私も仲間たちと畑を持ち季節の野菜を育てている。春に植えた種が芽を出し、成長してピーマンとかゴーヤとか名前のある野菜になっていく工程を見ているのはすごく面白いし、色んな発想の源になる。草や虫、猿や猪、いろんな生き物がいてときに食べられたりもするけれど、この地球に住むのは人間だけではないのだと実感する。
そんなわけで、愛媛にいる間はもっぱら長靴と麦わら帽子という出で立ちだ。
真夏は10時を超えると危険な暑さになるので、早朝に始めて一旦休憩。汗だくになってシャワーを浴び、アイスコーヒーでも飲みにいこうかと街へ出る。新しいシャツをはおり長靴以外の靴にはきかえる。洋服ひとつでこんなにも気持ちが変わる。どちらも私、どちらの時間も大切だなと思う。
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「初夏の梅仕事」
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毎年恒例の初夏の楽しみは梅を漬けること。東京の家の近所には、梅の木のあるお宅が何軒もあって、拾いに行かせてもらう。黄色に熟した梅が取っている先からドサ、ドサッと落ちて転がっていく。かわいい梅を追いかけていると、やがて持てないくらい紙袋はずっしりに。帰って下ごしらえをするときや、朝起きて一階へ降りていくとき、梅の良い香りに包まれる。あの瞬間が一番至福なんだよねえ。
梅干しや、梅酒、ジャム、シロップなどにするため、夜黙々と手を動かすのも好きだ。網戸から、虫の音や雨音。確かに手間はかかるけれど、美しいまんまるに一つ一つ穴をあけて瓶に転がしていく作業は落ち着く。
先日、梅をくれた方に愛媛の実家の夏みかんを持っていったら「これね、去年つけた梅シロップ。良かったらどうぞ」と、お返しをくださった。「私は一回凍らせて漬けるのよ。あなたはどう?」「へー、凍らせるんですか!私も試してみます。私はこうしてます・・・」と、梅談義になるのもまた楽しい。夏が過ぎる頃には新しい梅干しが食べられるかな。今年も美味しくできるといいな。
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高橋久美子|作家・作詞家・詩人
音楽活動を経て文筆家に。主な著書に、小説集「ぐるり」、エッセイ集「旅を栖とす」「いっぴき」、詩画集「今夜 凶暴だから わたし」など。アーティストへの歌詞提供も多数。
オフィシャルサイト:takahashikumiko.com
Twitter:@kumikon_drum