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【世界を走る】サハラマラソン 寺田清隆さんの挑戦
「昼は50℃、明け方は0℃」過酷な砂漠マラソン
―まずは、サハラマラソンの概要からご紹介を
寺田 「4デザーツ(4大砂漠マラソン)」と呼ばれる大会の一つで、サハラ砂漠を舞台に開催されます。ウルトラトレイル・ワールドツアーのレースの一つでもあります。7日間で大体250キロを走破するものですが、今回は世界各国から計1200人ほどが参加しました。日本人も38人でしたか、それくらい参加しています。
―おおまかな行程は
寺田 3日間、毎日フルマラソンに相当する距離を進んだところで、オーバーナイトという、2日間で80キロ以上をゆくステージがあります。その後もう一日フルマラソンに相当する距離のステージがあって、最後にハーフマラソン―という感じでした。途中には、大砂漠もあれば岩山を登っていくようなところもある。昼は50℃、明け方は0℃と寒暖差が激しく、砂嵐もあります。あちこちに石ころが転がっていて、これに足をぶつけて足を痛めることも少なくありません。
―やはり、かなり過酷な環境ですね。やはり長い距離はこれまでにも走っていた
寺田 いいえ。中学の時に1500メートル走ったことがあるだけです。でも、走力だけの問題ではありません。結構歩く距離も多いので。走るだけでなく、長い距離を歩いたりした経験があれば、十分トライできます。
ノリから始まった挑戦
―そもそも、そんな寺田さんが、どうしてサハラマラソンに参加することに
寺田 チャレンジの理由はノリです。もともと完走した方がいて、社交辞令で受け答えをしていたら、「じゃあ出れば」と、申し込みのURLがフェイスブックのメッセンジャーで送られてきたのが始まりです。仕事でも、皆に挑戦を促す立場なので、自分も挑戦しなくちゃ、という思いもありましたし。
―ではほぼ0から準備を?
寺田 レースに出ることを決めてから、完走経験者をご紹介いただいて、一緒に練習させて貰いました。まあ、当時は運動していなかったし、酒も飲んでいたしで、今より10キロは太っていました。それに、まあいきなり練習といっても、精々5キロくらいのものかと思っていたんですが、初日に指示されたのがいきなり40キロ走。夏の沖縄です。足を引きずりながら、頭の中は、もう「水」「水」「水」「水」「アイス」「苦しい」―で一杯です。涙も流れてくる。とんでもないことでした。でもこれでいきなり限界が引き上げられたのも事実です。足の痛みを経験したことで、負担の掛からない足の運び方なんかも身につけることが出来ましたし。
―それを皮切りに練習を積み重ねてきた
寺田 練習だけというのは好きじゃないので、その後は月に1回、大会に参加してきました。サハラマラソンは一泊して翌朝またスタート―を繰り返す、テント泊のステージレースになるので、よく似たスタイルの東海道五十七次ウルトラマラニックに参加し、東海道を毎月80キロずつ走ってきました。
過酷なレースを走り抜くために重要なのは荷物
― レースに参加する上で、一番重要な要素は
寺田 荷物です。水を含めて10キロから18キロくらいになりますが、サハラマラソンでは各自がこれを背負っていくことになります。これが負担になる。足の痛みだけでなく、肩の痛みもかなりなものですから、荷物は極力絞ることが重要です。僕はなるべく減らし、削ぎ落として10キロほどにしました。実際に持って行った中身は、登山で使われるような物が多かったですね。食料はカップ麺にアルファ米。固形燃料や鍋も持っていきます。宿泊はテントでするのですが、明け方は冷えるのでダウンも持って行きました。実際に寒くて目が覚めたこともありました。
―日焼け対策も欠かせない
寺田 日焼け止めを塗って、色々身にまとって、表に出ているのは手の先だけ、というくらいの感覚ですね。顔はキャップとサングラスとバフというネックカバーで覆って。その方が涼しいし、濡らすとひんやりするんです。それと、あちらは湿気がなく乾燥しているから肌がバリバリになるんです。僕はワセリンを持って行ってケアしました。靴下も、ワセリンを塗って履いていました。
―やはり相当に過酷な環境だということですね
寺田 そういう意味では、自分の体との対話も大事です。肩、足への負担とともに脱水も起こしますから、単に走力だけでなく、ペース配分がとても重要です。症状が出てきてからでは遅いので、その前になんとかしないといけない。
7日の間には、限界もたくさんやってくるので、そんな時に思考をチェンジするツールを持っているかも大事です。そのために、僕はiPod nanoを持って行きました。30時間だけ聞ける音楽をどこで使うかを決める。僕はオーバーナイトステージで使いました。
夜の砂漠で体験した希望と絶望の繰り返し
―一番きついと思ったのは
寺田 やはりオーバーナイトステージですね。3日間、ほぼフルマラソンの距離を繰り返しこなしてきた後に、2日間で85キロを行く行程です。昼間は日差しがきついので、どうしても夜中に歩くことになるんですが、辺りは真っ暗なので、懐中電灯は必須です。移動中は、前の選手がぶら下げたペンライトだけが頼りでした。でもそれだけに、星空がとてもきれいでした。
このステージがとりわけきつく感じられたのには、アクシデントも関係していました。最初はGPSを使って、しっかりペース配分ができたんです。ところが3日目で充電が切れて、4日目からはどれだけ歩いたのか、あとどれだけあるのかが分からなくなってしまった。人間て、きつくなって来ると錯覚を起こします。ゴールがすぐそこにあるように思ってしまう。この山を越えれば―でもまだ着かない。それを3回もやると、メンタルを削られます。そしてやっとゴールが見えるんですが、視界が良すぎて、実はまだ10キロも先なんです。ところがそれを勘違いして水を使い切ってしまう。とにかく希望と絶望の繰り返しでした。
―途中では何を考えている?
寺田 意外と無に近いのかもしれません。色々考えても考えきれない。だからただひたすら、一歩一歩進んでいくだけです。先のことを考えると苦しくなる。未来も過去も考えると苦しくなるから、目の前の一歩しか考えなくなりました。
―勉強になりますね。
寺田 本当に。マラソンて、人生にすごく似ているところがあると思いますね。
不安定領域を広げていくのが好き
―完走してみて、何か反響はありましたか
寺田 「神話の法則(ヒーローズ・ジャーニー)」というのをご存じですか?あらゆる神話には一定のパターンがあって、ヒットしたハリウッド映画やゲームもこれに当てはまるというんです。日常生活をしている主人公が冒険に誘われ、試練に遭い、敵のボスと戦って勝利した後に帰還し、その冒険について語り、皆をインスパイアしていくというものですが、今回は、自分がそうなった感じです。壮行会を開いてもらったメンバーで報告会をしたんですが、そこで2人が次のサハラマラソンへの出場を決め、エントリーしました。
―もう一度参加したいですか
寺田 機会があれば。でも僕は、色々な体験をすること、そうして不安定領域を広げていくのが好きなんです。その方がチャレンジできるじゃないですか。今回だって、最初の練習の40キロで一つ限界を超えてから、色々なレースを経てサハラマラソンまで。どんどんと基準が上がっていった。そうやって、不安定領域に自らを置いて、フロンティアを開拓していく。興味を持つのと実際に参加するまでの間には深い溝があると思うんです。実際に参加してみて、思ったよりもっと先に限界はあったんだなあと感じました。自分の能力に制限を掛けなくなりました。それが人として豊かになることだと思うんです。
サハラマラソンでは、同じようなペースの人たちと一緒にテント泊をしながら進んでいくことになるんですが、そんな人たちと今度やろうって話し合っているのがシャルソン(ソーシャル×マラソン)です。ゴールの時間だけ決まっている体験型のマラソンで、皆が撮った写真をSNSでシェアし、体験をシェアしようという催しです。今度、沖縄でやろうと思っています。
TABIO SPORTS
今回、寺田さんのサハラマラソン出場を、出発間近な時点でキャッチしたTABIO SPORTSでは、この挑戦をサポートしようと、現地でのレース用に「TABIO SPORTSレーシングラン」を提供しました。ほぼ「ぶっつけ本番」の「TABIO SPORTSレーシングラン」を実際に履いてレースに臨んだ寺田さんからは、以下のコメントをいただきました。
「サハラマラソンのようなレースでは、装備品がとても大事です。使ったことがないものを本番で使うのはリスクがあるし、恐かったというのが正直なところです。それでなくとも、靴下には悩んでいたので。色々試してきましたが、40キロなり80キロなり進むとどうしてもマメが出来てしまったんです。ところが今回、御社の靴下には助けられました。今回、257キロを「レーシングラン」1足で完走しましたが、マメができたのは親指の先に一カ所だけ。それも、コース上に転がっている石ころにぶつけて出来たものだけでした。あまりない、5本指のグリップ付きというのも良かったです。テント仲間と話してみても、「レーシングラン」のことは随分と認知されていました。特に普段からマラソンなど、長い距離を走る人たちの間で。中には通気性が良いので、砂利が入らないかと心配して今回は使うのを見合わせた人もいましたが、僕自身は工夫を重ねたゲーターとの併用で、砂は一切入らずに済みましたよ」
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