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【タビオのヒストリー vol.1】創業—やむにやまれず
タビオ(Tabio)という社名は、「The Trend And the Basics In Order (流行と基本の秩序正しい調和)」の頭文字をとったもので、Tabioをはいて地球を旅(タビ)しよう、足袋(タビ)の進化形である靴下をさらに進化させよう、という意味が込められています。
1968年の創業から、タビオはどんな道を辿ってきたのでしょうか。
タビオがこれまで歩いてきた道のりを、みなさんにご紹介します。
約束の10年
越智直正は15歳で郷里の愛媛を離れ、丁稚として大阪・鶴橋の靴下問屋で働き始めます。
10年頑張ればのれん分けして貰える約束でした。
ところが約束の10年が過ぎても、越智ののれん分けが話題に上ることは一向にありませんでした。
予想もしなかった展開
そうこうしているうちに迎えた13年目、28歳になった越智は「大将※」の弟さんの独立を助ける役目を仰せつかります。
独立の計画は、大将に言われて越智が立てました。
ところがようやく仕上げた計画書を説明するため訪れた喫茶店で、話は妙な展開を辿ったのです。
「で、どれだけの期間一緒にやってくれるんだ?」
コーヒーを頼むが早いか、弟さんからそう聞かれました。
尋ねられるままに、「もう約束の10年も過ぎていることですし、あと5年ほどで独立させてもらえれば…」そう答えただけでした。
ところが、その何がいけなかったのか。
弟さんは「待っとけ」と言い置くなり席を立ってしまい、越智はその場に置き去りにされました。
そしてそれから何時間も経って、代わりにやってきた大将ははじめからすごい剣幕で、「恩をあだで返す気か」とひたすら越智に詰め寄るのでした。
越智には、どうしてそんなことになるのか訳がわかりませんでした。
ただはっきりしたのは、その折の大将の理屈によれば、このままいくら一所懸命に働き続けたところで、のれん分けはしてもらえないだろうということでした。
最初で最後の口答え
「だったらもう、辞めなければなりませんね」
「辞めてどうする。金もないだろう」
「靴下が食べさせてくれると思います」
それは越智が大将にする、初めての口答えでした。
越智にもまったく目途がなかったわけではありません。
そのひと月ほど前、同業者から引き抜きの話があったのです。
いずれのれん分けをして貰えると思っていましたから、その折にはにべもなく断りましたが、独立資金ができるまではしばらくあそこに厄介になれるだろうか―そんなふうに考えを巡らせていたのです。
「靴下はお前1人しか食べさせてくれないのか?」
その日の夕方、会社に戻ると皆が車座になって越智のことを待っていました。
大将は、「越智はわがままを言って今日で辞めることになった」と切り出しました。
ですが問題はその後でした。それに続けて大将は、いきなりこうも言い放ったのです。
「ついては、KとIは越智についていくように」
越智はびっくりして抗議しました。
彼らには何の関係もないことです。ましてや同い年のKは婚約中で、式を間近に控えていました。
それに越智に声を掛けてくれた同業者も、越智1人ならともかく、一度3人雇ってくれというのは、端から無理な話でしょう。
ところが、大将は頑として譲りません。
「2人は越智が仕込んだのだから、一緒に連れて行くのは当たり前だろうが」
さらには、喫茶店での越智の言葉を逆手に取って、
「越智、靴下はお前1人しか食べさせてくれないのか?」とも。
そうしたやり取りを聞いていた後輩の2人が、立ち上がって越智の元へやってきました。
「越智さん、何でもするから僕らも連れて行ってくれ」「こんな会社、こっちから辞めてやる」
越智が必死に制止しても、もう無駄なことでした。
突然の始まり
越智は前年の秋に結婚したばかりで、新居は市内に間借りした六畳一間でした。
ところが一緒に辞めた後輩2人は事務所への住み込みです。
その晩の内に、越智が自宅に連れ帰るよりありません。
創業に向けた慌ただし日々は、こうして突然の始まりを告げたのでした。
※大将:社長のこと