KOJI TOYODA× Tabio
スペシャルインタビュー

タビオ創業55周年スペシャルインタビュー
タビオと関わりの深いアーティスト「KOJI TOYODA」氏
を迎え、昔から靴下が大好きだったという豊田さんに
”Roots”(ルーツ)というテーマで、
靴下の話、ご自身のルーツやTabioとの出会い、
当時のお話をうかがいました。



豊田 弘治

1962年5月22日大阪生まれ。
アーティスト
子どもの頃から絵を描くこと、サーフィン、ファッション、音楽が大好き。 1992年30歳の誕生日にEnjoy SURFのロゴマークをデザイン。1997年カリフォルニアで初のエキシビジョンを開催。
カラフルでピースフルな絵画作品の他、各国様々な企業や
ブランドとのコラボレーションを通じて独自の世界観を表現し続けている。

www.sora-umi.com

タビオとの出会い

ーまずは豊田さんとタビオについて。
豊田さんとタビオとの最初の出会いはどのようなものだったのでしょうか。

アーティストになりたくて美術の高校に通っていました。けど、そこで触れたクラシカルな絵画は僕にとってあまり面白くなかった。

デザインにはとても興味があったので、高校卒業後デザインスクールにいって、デザインスタジオに入社しました。結構いいデザインスタジオに。
でも、6ヶ月で合わないな、と。
やめてしまって(笑)。
そこからニューヨークにいきました。

ーそれは何歳頃だったんですか?

21歳かな。デザインスタジオでの仕事はすぐ辞めたけれど、やっぱりアーティストになりたいなと思ってニューヨークにいきました。

今のソーホーはとてもファッショナブルな街になっているけど、当時はまだ倉庫街でした。
3つだけあったギャラリーの1つではアンディ・ウォーホルのエキシビジョンがやっていたり、キース・ヘリングがガレージでTシャツショーのようなことをやっている。そのような時代でした。

でも、若者がこういうことをしても持ち上げてくれる大人は日本にはいないよなと思って。で、挫折して日本に帰ってきました。

挫折して辛い気持ちで帰国するとき、
靴下のデザイナーになろうかな、と思いました。

ーそういった時期があったんですね…
いきなり靴下のデザイナーっていうのも驚きです!

というのも、僕がニューヨークにいた当時、ウェストビレッジだったか、メンズソックスと靴を扱うとてもセンスのいいお店があって。店名は忘れたけど(笑)。それに、子どものときから靴下が大好きだったので。

とりあえず、ファッション雑誌で働いている知り合いに連絡しました。
「日本の靴下の会社を全部教えて欲しい」と。

靴下会社の載ったリストをもらって、上から一社ずつ連絡したんです。けど、どこの会社も当時はデザイナーは雇っていなくて、要は商品管理のような仕事になると。

靴下業界には、まだしっかりしたコンセプトからデザインするというクリエーションの風潮が無くて。 リスト中の一番最後に「株式会社ダン」があり、ダンって何?と思いながらも最後に電話しました。

※株式会社ダン・・・
現在のタビオ株式会社の旧社名

ー当時のタビオとは
そういった出会いがあったんですね!

僕は商品のプランニングをしたかったのだけど、この会社にはそれ以前にもっとすることがたくさんある、商品も分からないので、商品の入出荷を行う物流倉庫で働きました。品出しをすれば、靴下に触れられるから、1ヶ月そこで働かせていただき、その後、自分のやりたい事をプレゼンします!と言いました。

1ヶ月間倉庫で働くつもりが3日目ぐらいに会長さんが来て、「豊田くん、今からうちにずっと泊まるんじゃ」と言われて。そこから2週間住み込みで、毎日中国の古典の話を聞かされました。人生観とか、人としてのことをたくさん教わりました。ものをつくるというよりは、人間をつくる、というか。

夢を語ったその時に
「この方、ファッション感ないけど生き方はオシャレなんじゃないか」そう思いました。

ータビオにはどのくらいの期間所属していたのでしょうか?

色々なことをダンでトライさせていただきましたが、実際には3年もいませんでした。
辞めた理由は自分なりにはっきりとありました。

靴下は機械でつくられるから、クリエーションの枠は機械のできる範囲で限定されます。
当時の僕にとってはその限られた範囲というのが狭すぎて。だから「僕が機械を作らなあかんようになったから辞めます」と。

当時の僕はとんがっていて、もっとセンセーショナルでファッショナブルなムーブメントを起こしたかった。今考えたら、靴下は日常品だから、実はそこまで要らないと言えば要らないように思えます。けど、僕は靴下がとても好きだし、好きだからこそ追求していました。

小学生の時から靴下が好きだった

ー靴下を好きになったきっかけは何でしょうか。

きっかけはまだ幼い頃、小学校1〜3年生のときのことです。とても綺麗好きな母が毎晩、次の日の服装の準備をしてくれていました。

学校の制服、その上に靴下、その上にお守り。
決して裕福ではなかったけど、いつも綺麗な白い靴下を用意してくれていました。

この靴下よりももっと真っ白で、鮮やかな群青色のDのマークが堂々と入っていて。
おそらくレディースの靴下じゃないかな。母が買ってくれた、綺麗な靴下をいつも履いていた記憶が強く残っています。

ーそれがダンの靴下だったなんて、運命的ですよね。

ダンでお世話になっているときに「このマーク、あれやん!」と気付きました。当時このマークがついている靴下はありませんでしたが、偶然、倉庫の隅っこにあったデッドストックを見つけて。

あのときの、あの群青色、輝いているDのロゴ。IVYの時代にデザインされたロゴだから、やっぱりカレッジフォント。Dのロゴの輝きが、会長さんらしくて。

ーまさにダンのルーツとなった靴下が、豊田さんのルーツともリンクしてるわけですね!
そのルーツとなった、2×2リブソックスの特徴を教えていただけますか?

日本独自なセンスの靴下で、ヨーロッパにもアメリカにも、2×2リブのこの感じの靴下が無くて。だから、日本のオリジナルソックスなのでは、と僕は思います。

特段ファッションに関心が無いという方でも、一年を通してワードローブにベストな靴下ですね。色や履きやすさといった好みはそれぞれありますけど、2×2リブソックスは万能な靴下だと僕は思います。

例えばこの黒は、ビジネススーツにもギリギリ合わせられる。この赤だったら、デニムにローファーのスタイルに履いても合う。このクリーム色なら、スニーカーに履いてもかわいい。

ただ、僕は履かないです。
何にでも合うということは、何にも似合わないからです。

メンズファッションを追求していけば、靴やパンツの色、素材、裾幅に合わせて、靴下との相性を自然と追求していきます。もちろん、僕自身の考えですが…

この2×2リブの白、黒、グレー、ネイビーあたりを持っていれば困らない。男性だったら一生をこの2×2リブで通年履けるライフソックスです。

アーティストとしてのルーツ

ー豊田さんのアート作品の今のスタイル、そのルーツについて教えていただけますか?

ダンを3年くらいで辞めて、友達と起業したデザインスタジオもまた3年くらいで辞めて。結局、また戻ってくるんです。やっぱりアーティストになろうかなって。

もちろんファッションも好きだからファッションの仕事もしようかな、とも。
30歳の誕生日の日、お風呂に浸かりながら考えました。俺、今のまま40歳になるのかな。普通に生活はできている、家族もいる。何も嫌なことはない。でも生きていてこのままでいいのかな、と。

30年間続けてやってきたのは、サーフィンと、表現すること。だから、その2つをかけ合わせたことをしよう、とお風呂で決めました。お風呂から上がってすぐにコーラを飲みながら、このロゴを考えました。だから、「エンジョイ」が入っていて、赤いロゴなんです。

昔の知り合いがカリフォルニアに住んでいることもあって、さまざまな出会いがあり、カリフォルニアで1997年に初のエキシビジョンをしました。ローカルサーファーやLAのファッションの業界の方々に喜んでいただき、その後、毎年エキシビジョンをやることになりました。

最初はグラフィックアーティストとしてデビューし「パームグラフィックス」というユニット名をつけました。 そして、日本の大手セレクトショップの方がその活動を見つけてくれて、日本で僕を2000年に大々的に紹介してくれました。

カリフォルニアでの僕のエキシビジョンにその方が来られたときは、僕のことを外国人だと思ったみたいで。ミュージアムの館長さんを通じて、僕が日本人であることが分かった後、電話をしてきてくれました。その方とはそこからの付き合いで、今でも親友の関係です。 そのときが僕の人生のターニングポイントになりました。
サーフィンとアートとファッションが、ひとつになった瞬間だったと思います。

ーもともとはグラフィックがメインで、今の画風ではなかったということですよね。

今の画風は、小学校の時に描いていた画風です。
大阪万博の年、小学2年生のころ僕のクラスメイトみんながニコちゃんマークのグッズを持っていました。それに似せてクラスの子の顔を描いてて(笑)それが今のこの画風です。

若いときは、結局作品に僕としてのオリジナリティが全くありませんでした。自分でも分かっていないから、◯◯風ばかりで。

でも生き方を決めたら、作品からそれが伝わります。それがオリジナリティだと思います。

ー豊田さんにとって、靴下という存在はどのようなものですか。

ルックスや清潔感はとても重要です。ファッションの基本は、その人らしい表現。やっぱりこれが一番大事です。その中で靴下は最後の仕上げなので非常に大切です。

僕はほぼ毎日、靴下を履いている人間だから。
僕にとって靴下は、ちょっとだけ嬉しくさせてくれる存在です。

新しい靴下を履いたときの、あの感じ。
洋服を新調したときほどの喜びではないけれど、ちょっとだけ嬉しくさせてくれる。
きっと靴下のそんなところが僕は好きなんだと思います。すごく喜ぶようなものは飽きてしまいますが、ちょっとだけというところがポイントで。いつもそばにあって、ちょっとだけ喜ばせてくれる。僕にとって靴下はそんな存在です。

ー豊田さん、本日はありがとうございました。

INFORMATION

「こころ」 豊田弘治 個展

豊田弘治さんの個展「こころ」が
2023年4月29日(土)〜5月14日(日)まで
高野山真言宗 総本山金剛峯寺にて開催中!