case... 中村靴下株式会社

2019年6月、一人の匠が亡くなった。
Tabioブランド(旧ブランド名CHAUSSETTES/ショセット)の立ち上げの頃から30年に渡り、共にTabioブランドを支えてきたニッターの一人だ。

私と匠の出会いは6年前、私が新卒でタビオに入社し商品部に配属された頃だった。靴下のことどころか、社会人としてもままならない私に、匠は一つ一つ丁寧にあらゆる事を教えてくれた。

「中村靴下の中村社長は、タビオの中でも特に腕利きの職人だ」

社内でもそんな話を聞いていたので、初めて挨拶をしに工場に伺うときはとても緊張したことを思い出す。匠の職人と知られているくらいだから、きっと頑固で、下手なことを言おうものなら追い返されるのではないか、と。

いざお会いして、すごく拍子抜けした。
物静かで、ずっとニコニコして、「よう来たね」と一人の新人を快く歓迎してくれたのだ。
そこから、新人の商品MDと匠の関係はスタートした。

いつも無理なことばかりお願いしていた。
予想外の差し色がよく動いたから急ぎで生産の順番を入れ替えてほしいとか、新素材を開発したいから何遍も素材を試してもらったりだとか。週に何日も連続で通うこともあった。
でも匠が新人を追い返すことなんてただの一度もなく、いつも「よう来たね」と言って温かく迎えてくれた。

でも、いつもニコニコしていた匠も、靴下や素材を見るときは目つきが明らかに違っていた。
新人と話すときは優しい口調と顔なのに、試編みの生地を見るときは鋭い眼光だった。
あの靴下を見る真剣な目を、私は今でも忘れないし、尊敬している。

匠のところで生産している商品は、柄が入っていない無地物だけだった。
配属された時からそうだったし、昔からそうだったらしいのでそれが当たり前と思っていた。
でもある時、機械の見た目が他所とは何か違うような気がしたので匠に聴いた。
「うちの機械は、“柄だし”の装置を外してるねん」と匠はサラリと答えた。

その答えに、何故か凄く違和感があった。冷静に考えれば、その機械は“柄を出すこと”に特化している機種だからだ。

戸惑っている私に匠は、「無地を編むのに邪魔だから取った」と笑いながら続けた。
常々匠は、「うちは無地専業だからね。無地の靴下は一度履いて良かったと思ってもらって、リピーターさんになってもらわないと」と言っていた。
うまく言葉には出来ないが、匠が、匠といわれる所以が新人にも少しばかり感じ取れた瞬間だった。

匠のつくる靴下は、本当にクセがなくて、綺麗で、履いていないような感覚だった。
数十年前の、オールドのマシーンでガッシャン、ガッシャンと機械がゆっくり動いてつくられるその靴下が、私は大好きだった。

残念ながら、職人兼社長だった匠が亡くなった今、工場は廃業となった。
機械とその商品は匠のことを良く知るニッターの元へ渡り受け継がれている。

「いつかタビオが靴下でNo.1になる日が来たら嬉しいね」
匠が以前、タビオスタッフ向けのインタビューで話していたことが思い出される。

文章:畑中 絢哉
靴下ソムリエ認証番号 第17006)

服飾関係の学校を卒業後、タビオ株式会社に入社。Tabioブランドの商品MD、靴下屋ブランド商品MDを経て得た、靴下の知識やものづくりのこだわりをより多くのお客様に伝えるため、現在ウェブサイトの商品説明やコンテンツ制作を中心に日々情報を発信しています。

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